左辨官下云々の場合は、左を略して中辨某と書く

しかし左辨官下云々と書く官宣旨が必ずしも左辨官に属していた役人が出すものではなく、右辨官下云々もまた同様であった。延喜太政官式に左右辨官の一人が上庁に向って事を受けたとき、もし左辨官の取り扱うことを右辨官の人が受け、また右辨官の取り扱うことを左辨官の人が受けた時には、互いに相知しめ、事を受けた辨が施行するとあるから、事柄によって、左辨官下、右辨官下と区別はあったが、その事務を処理する人は、左右の辨官相通ずるものであったことが判る。

左辨官の辨ならびに史が、もし左辨官下云々の官宣旨を発するときは、例えば左中辨某、左大史某と書かず、必ず左の字を略して、単に中辨某、大史某と書く。右辨官の辨史においてもまた同様であった。第二二図に示した官宣旨において、少辨とあるは、左辨官下云々であるから、左少辨であったことを知る。とのことです。