平安時代の数少ない宣旨の正文

〔六九〕は、鳥羽天皇御代永久三年十月七日の宣旨、上卿から辨官に、辨官から史に宣下して、史が奉じて出した宣旨の一例。この宣旨に依って、東寺の灌頂会を僧綱所に仰せて行わしめ、永代毎年十月十三日を以て式日と為すことを定められたのである。宣旨の正文にして、平安時代のものは極めて少ない。先に図版を以て示した天仁二年三月三十日附の宣旨とともに、かかる少ない中の例として尊重すべきものである。

〔七〇〕は、花園天皇御代正和三年四月四日の宣旨、これも同じ手続きによって、史が奉じた一例であるが、その書式が前記のものと相違している。始めに宣下すべき事項を事書に表し、次に本文となり、終わりに次第宣下の順序が書いてある。このときの上卿は北畠親房である。この宣旨によって、前大僧正尊教の譲与に任せて、権僧正性守をして、門跡を相承して、所職ならびに荘園坊舎を管領せしめられたのである。とのことです。