官符官牒から官宣旨へ

同じ太政官から出る文書でも、官符と官牒との二種あったことは、その充所の相違によるものであった。官宣旨は、前掲図版ならびに部類編〔七六〕のごとく社寺に下され〔七五〕のごとく諸国にも下されており、その充所は、官符官牒のものよりも範囲が広かった、ただしこれが個人に充てて出ることのなかったことは、後の文書を見る上に注意しておくべき点である。官宣旨は右のごとく諸国にも下されたのであるが、元来国には、太政官から文書を下す場合には官符を下す定めであったから、官宣旨にして諸国に下されたものは、官符に代わったもの、また社寺には官符ではなく官牒を下したのであるから、官宣旨にして社寺に下されたものは、官牒に代わったものとみるべきである。かくて官宣旨は、官符官牒に代わって、太政官の命令を下に逮ぼす文書であった。かような次第であったから、諸国に下した官宣旨の中には、その内容により、本文の書止めに官符追下と書くものもあった。とのことです。