符に代えるに下文をもってする

官宣旨の様式が基になって、他の文書が発展して来たことは注意すべき現象である。官宣旨の現れた以後の文書に、何々下あるいは単に下云々という書き出しをもって始まる様式の文書が多数現れるに至った。これらの文書をみな、下文という。

元来上位の役所から直属関係にある下位の者に向かっては符、直属関係に無い者に向かっては牒を発していたことは、前に述べたが、この官宣旨が官符に代わったと同じように、各役所から直属関係にある者に向かっては、みな下文を発し、摂関家以下の公卿ならびに社寺の政所等も、漸次符に代えるに下文をもってするようになってきた。

この現象は平安時代における文書の著しい変化として注目すべきである。この傾向は地方の国司の文書にも及び、やがて鎌倉に興起した武家幕府の文書の中にも入るに至った。これら各所から出した下文については、後項に下文と総称して、各種のものを次第して、その形様を説くこととする。とのことです。