足利高氏から大友、島津、阿蘇、長井氏充て書状

(略)

この文書は、元弘三年足利高氏が北条氏の命を受け諸国の官軍を攻めんがため上洛していたが、偶々後醍醐天皇の行在所伯耆船上山から官軍に帰順して北条氏及び其の与党を誅伐すべき勅命を受けたので、それに応じて丹波国篠村八幡宮に於いて義兵を挙ぐるに当たり、諸国の有力な武士に合力を催促するために発したもので、始めのものは豊後の守護大友具簡(貞宗)、次は薩摩の守護島津道鑑(貞久)、次は肥後の阿蘇前大宮司宇治惟時、終わりのものは備後国御家人長井貞頼に充てたものである。とのことです。