足利尊氏、足利直義の参陣を促す文書

〔三七〇〕は延元元年二月、足利尊氏が京都にて戦敗れ、丹波に逃れ、この間豊後守護大友近江権守に参陣を促すために出した軍勢催促の御教書、〔三七一〕は、同年六月十日、足利直義が山門に拠った義貞等を攻めんがため、高雄山神護寺の衆徒に参陣を促すために出した文書である、官軍賊軍両方から出すかかる類の文書に依って、合戦の推移する状況を知ることができる。とのことです。