髻の綸旨といわれていたが綸旨ではない

近畿方面から遠方の九州方面に送致するには、敵の領内を通り多くの艱難があったために、密使の携帯の便宜を計って普通の大きさの料紙に書かず、かように小さい絹布の切れに書いたのである。而して之を紙縒のように縒って使者の髻の中に縫込んだと伝えている。かかる所から嘗つて之を髻の綸旨と申したが、決して綸旨と申すべきものではない。とのことです。