古文書の真打登場!?東寺百合文書

続いて、河内国金剛寺。万治年間に整理して巻物に収めている。

河内国観心寺。寛文十年に整理して巻物に収めている。

高野山金剛峯寺鎌倉時代の寛元嘉元の両度古文書目録を作成している。近世江戸時代始めになると、古文書は挙げて御影堂に収蔵している。享保二十年に目録を作成している。寶簡集五十二巻は、享保二十年以前に巻物になったものを、以後ある時期五十二巻を選んで総称をつけたものと思われる。その後續寶簡集七十五巻、又續寶簡集百四十三巻が整理されている。52+75+143=270に及ぶ巻帖が伝わっている。

東寺。加賀藩前田綱紀が謄写し、終了に及んで文書を入れる箱百箇を寄進したことから百合文書と称している。巻物に収めると古文書の原形は損なわれるが、東寺では百箱に分置してそのまま伝えたのは、史料保存上大いに意義があった。とのこと、p.107に最初のい函とその中の文書の写真が掲載されています。