断絶時、重書は主家が預かり、再興後返付

諸家家伝文書の整理 です。

まず薩摩鹿児島の島津家と周防岩国の吉川家が挙げられています。

島津家。慶安二年に古文書を整頓して目録と箱を作っている。その後数度の整頓を経て、7帖233巻5,785通を収めている。帖に仕立てた歴代亀鑑は2帖ある。巻子に仕立てられたものの軸は薩摩ガラスを用いたものもある。整頓の方法としては、島津家より上位あるいは対等のものからきたもの、対等のものからきたもの、家中から上がってきたものの三種に分類されている。

吉川家。慶長五年目録が作られている。寛文十年大整理を行い、古文書1,268通を31巻に整頓した。

室町時代末期までは、文書の差出者とその内容によって区分して保存していたが、これは古文書を本来の働きの上から使用することを意味していた。それが江戸時代になると、文書を受けた側、充名によってこれを嫡庶にわけ個々の宛名ごとに年代を追って排列した。これは古文書を歴史の資料として重んずることを意味していた。吉川家では歴代のものを種類によって分かち、その中を年代を追って排列していた。

安芸国御家人熊谷家は、直実以来の古文書を譜代相伝してきたが、慶長十年一時家系が断絶した。ところが重書はいまに伝わっている。主家毛利家が一時預かりおき、後日再興したときに返付したものと思われる。同じく毛利家の家臣、平賀家でも同様に預かりおき、返付されている。

とのことです。