〔四八五〕に挙げたものは、天正十九年八月、景勝が豊臣秀吉の命を受け、分国中の升を京升に一定する掟を示す為に出した印判状である。秀吉の命令に依って、従来区々であった度量衡関係の事柄が、全国的に統一された事実をしることができる。とのことです。
日附が月日から成り、充所を具えた印判状
ろ式 日附が月日から成り、充所を具えたもの
之に属する例は余り多くない。〔四八四〕に挙げたものはあその一例である。鎌倉の代官で北条氏の老臣である大道寺政繁が、鎌倉郡山ノ内の町人百姓が出した小泉藤右衛門の屋敷の棟別銭に関する訴状を受理し、之を相手方なる藤右衛門に遣わし、之に対する陳情を差し出すように命ずる為に出したのがこの印判状である。とのことです。