2021-07-01から1ヶ月間の記事一覧

吉事は左辨官、凶事は右辨官

太政官には左右の両辨官があり、 左辨官は中務、式部、治部、民部の四省の事務に、 右辨官は兵部、刑部、大蔵、宮内の四省の事務に関することを取り扱った。 そして両辨官から各其の取り扱うべき事柄に関して出す文書が、一種の宣旨で、これを官宣旨と称した…

鎌倉に居住した源義朝

相模国鎌倉郡内鎌倉館に居住していた源義朝が、隣接する高座郡内にある大神宮領大庭御厨内鵠沼郷を郡境を超えて鎌倉郡内と号して押妨を致し、その部下清原安行等が、厨内の伊介神社祝荒木田彦松以下神人八人に刃傷を加え、彦松の頭を打ち破り万死に一生の重…

太政官の辨官から官符に代えて下した官宣旨

第四種 官宣旨 前項において、辨官から出す宣旨に二種あり、其の一を官宣旨と申すと述べたが、第二二図はこの官宣旨の一例である。上卿左大臣源有仁が職事から勅旨を受け、更にこれを辨官に伝宣し、辨官において左少辨源師能と右大史中原某とが奉って、この…