下知状の書式をとる禁制(きんぜい)

次に〔一五六〕に挙げたのは、幕府奉行が享徳三年九月六日、京都東寺境内に掲げた禁制であって、同様下知状の書式をとっている。禁制には折紙のものは無い。然し之を紙に書かず、木札に書くものもあった。始め紙に書いたものを受けて、之を木札に写すこともあった。禁制は諸人に明かに示す為め、門外等に掲げる必要があり、従って紙では風雨に曝されて忽ち損う恐れがあったので、木札を用いたのである。この種文書に就いては、他の書式をとった禁制の項で、図版を示して詳説するであろう。とのことです。

332頁に、北条時政の禁制(きんぜい)が奥下署判下文変形文書として、334頁に、徳川家康の禁制が日下署判下文変形文書として掲げられています。