差文(さしぶみ)、差定(さじょう)とも云う

尚お社寺に於て仏事諸会の諸役を俗家に仰付ける為めに出す文書をも差文と称している。〔二〇五〕に挙げたのはその一例である。保元三年七月三日に、北野宮寺が、右近衛中将家を、八月五日の頭役に差定した時のものである。遥かに降って室町時代の末期に、延暦寺から諸国の豪族に、正月元三會の捧物の役を仰付けた時の差文が諸家に伝わっている。〔二〇六〕に挙げたのは、永禄十年正月三日、備後の山内隆通に明年の役を仰付けた時の差文である。又差定とも云っている。その祈祷の費用を納めて家運隆昌の祈願を乞うのである。とのことです。