版木によって摺写した度縁

この度縁は石清水八幡宮祠官田中家二代目の慶清という人が、康治二年十四歳で出家得度した時、治部省、玄蕃寮、并に僧綱所から授かったものである。奈良時代以来仏教は極めて盛んになったのであるから、平安時代以前からも度縁は多数作ったに相違ないのであるけれども、その実物の今日に伝わるものは極めて少い。この点に於てこの度縁は珍重すべきものである。

尚この度縁が注目に値する点は、版木によって摺写したものであることである。右の引用文中筆書と傍註を施した以外は、総べて版刻から成っている。之を子細に観ると康治二年四月日の一行は、他の行と稍版型の趣を異にしている。而して中央に印影が一つある。その大きさから判断すると、重郭の「太政官印」の四字を印文とした朱印のようである。とのことです。