相当数多い人が一度に得度

鳥羽天皇の保安三年十月六日の太政官符で、度者一萬人を治部省に仰せて得度せしめるという勅旨が布達されたのである。慶清はこの勅旨に基いて康治二年四月に得度した一人である。保安三年から康治二年までは二十二年の長い歳月を距てている。この間に随時出家得度を許して度縁を授けたこともあるのであろう。康治二年四月に必しも一萬人が一度に得度したのではないであろう。然し兎に角相当数多い人が一時に得度したから、一々筆書する煩雑を避ける為めに、かくの如き版刻として発行したものと思われる。とのことです。