戒行事は朱印、戒目代は黒印

醍醐寺三寶院に、建武、康永、応永の大乗戒牒が数通伝わっているが、此等には何れも裏面に、戒を授けた師主と、戒目代と戒行事とが位署署判を加えている。中には上に示すが如く、戒行事と戒目代との署判は、文字花押共に版刻にしたものを以て捺している。蓋し、当時戒牒を発行すること極めて多数に上ったので、その手数の繁雑を避ける為めにかかる特殊の印を用いたものであろう。師主の位署は筆書してあるが、之は受戒者に依って各々異ったわけであるから、その人が筆書するのが当然であった。尚お三寶院に伝わる、天文二十年十一月八日附、沙弥俊仁と申す人の大乗戒牒には表の字面に「戒行事(花押)」を版にした印が七顆捺してある。之は先の成典の戒牒に寺印の捺してある趣と同じであるが、又之に依って先に説いた如く裏に戒行事の署判を筆書し、若くは「戒行事(花押)」の印を捺した手続をも兼ねたものと見るべきである。尚おこの俊仁の戒牒には戒目代は、奥の傳戒師三綱の証言のある下に、「戒目代(花押)」と刻んだ印を一顆捺している。而して先の戒行事のものは朱印で、この戒目代のものは黒印である。とのことです。