第二種 禁制
又寺院に対する禁制、寺領安堵の為めに出した例として、〔一七八〕建武二年四月廿五日、因幡国守名和長年が、同国新興寺に下したものの如きがある。
第三種 判物
戦国時代の大名の中にも、この式の文書を出している。〔一七九〕天文十一年四月六日、大内義隆が厳島社の転経料寄進の為めに出したものはその一例である。又徳川家康も之と同じ形式のものを出している。〔一八〇〕はその一例で、慶長六年七月廿五日、大山崎八幡宮の社領を、検地の結果も従前の通り、安堵せしめる為めに出したものである。とのことです。