六波羅探題の施行状

第三式 奥下署判下文変形文書

 第一種 施行状

 石見国永安別符益田庄内小彌富、寸津浦、美磨博田壹町、庄久保畠壹町等地頭職

 事、

右、任今年今月三日関東御下文、藤原乙法師丸為彼職、守先例、可致沙汰之状如件

  寛元四年十一月廿一日

              相模守平朝臣北条重時)(花押)

 

寛元四年十一月三日、将軍藤原頼嗣が、袖署判の下文を藤原乙法師丸(永安兼祐)に下して、彼をして亡父兼信の譲状に任せ石見国永安別符以下四所の地頭職を領知せしめたが、六波羅探題が此下文を受けて、之を施行する為めに出した文書が前掲のものである。これを施行状と称している。かかる下文に依って知行を充行い、又右の如く安堵の沙汰を致すとき、その領地が六波羅探題所管の国々にある時は、必ず右の如き施行状が出て、単に将軍家の下文のみで沙汰が済むものではなかった。とのことです。