安堵御判の御教書

〔三八四〕は応永廿六年十月廿七日、将軍義持が美濃永保寺の寺領の領知を確証するために出した文書、この両通の如く将軍直判にして書状様式のものを御判の御教書と云い、後者の如く所領の知行権を確証するために出すものを特に安堵の御判とも云う。依って前者は単に御判の御教書、後者は安堵御判の御教書と称する。かかる種類の文書は極めて多数発せられたと見え、今日に伝わるものが極めて多い。又関東管領(公方)の出すかかる形式の文書をも御教書と称する。〔三七三〕はその一例である。とのことです。