鎮西探題の出した過所

尚お〔一九三〕に挙げた文書は、文保元年六月十九日、藤原政貞と申す人が備前安養寺に掲げた禁制であるが、紙を用いて書き、その書式は先の時政のものと同じである。又〔一九四〕は、遥かに降った元亀三年八月、常陸介某が、摂津天王寺地下に出した、頼子講以下五箇条の掟書であるが、これ又同様の書式を具えている。

禁制掟書以外に特殊な文書である過所にも、この書式を用いたものもある。〔一九五〕に挙げたのは、延慶三年五月廿日、鎮西探題肥前東妙寺造営料の材木を積む船舶に、関所料の免除を許す為めに出した過所である。とのことです。