勤皇軍を指揮した常陸親王

〔二八八〕は先に土佐国にあり、後に周防国の辺に移られて、勤皇軍を指揮せられた常陸親王の令旨で、正平六年八月七日、安芸国の武士三戸頼孝の来附を聞召されたる由を伝えたものである。之は先に述べた綸旨の切紙と同じ形の料紙を用いている。とのことです。