戦国時代にも諸国の守護大名から奉書を出している

所謂戦国時代に至っても、諸国の守護大名から奉書を出している。その一二の例を左に挙げる。〔三三八〕は、天文五年八月廿一日、豊後大友義鑑の年寄入田親廉外二名が問注所加賀守に知行を充行うことを奉行三原和泉守外一名に伝える為に出したものである。これに依って和泉守等が、文書に書いてある筑後生葉郡朝田百町分の知行を加賀守に打ち渡すと同時に、この文書をもそれに付与したのである。その書式は幕府奉行の奉書と全く同じであって、彼と是とを取違い兼ねない程類似している。とのことです。