肥後守護規矩高政の問状

ろ 守護問状

更に守護の出す文書の一二の種類を挙げると、〔三六五〕は嘉暦二年五月十日、肥後国人吉庄の地頭相良蓮佛の女子尼妙阿が、同庄南方刁(寅)岡名地頭職の襲領安堵を幕府に申し請い、幕府がこの申請に対して、その地頭職が現在知行しているものか否か、又この安堵の申請に就いて故障を申すものが有るや否やを、同国守護人をして相良氏の一門に問い尋ねるよう御教書を出したので、守護人規矩高政がこの御教書を承けて、一門の中の長氏に右の二条を問い尋ねる為に出した文書である。とのことです。