河内千早城に籠る楠木氏

〔三七六〕に挙げたものは、正慶二(元弘三)年四月廿一日、河内千早城に楠木氏を攻めた関東の大将阿曽沼治時が、和泉の御家人和田中次の同城北山に於ける合戦の軍功を褒めるために出した感状である、折紙を用いている。致し方ない次第であるが、之が今に伝わる感状の最も古いものである。頸を取り了りぬとは討捕った頸を検知した由を表しているのである。当時は敵の頸を討捕って持参し、頸実検に備うべき慣例であった。とのことです。