九州探題渋川満頼の受領推挙状

〔四三〇〕は応永七年十一月十八日、九州探題渋川満頼が、豊前の宇都宮掃部助に薩摩の受領名を授けることを京都に推挙する旨を伝えるために出した文書である。之は京都に差し出した文書では無く、推挙する由を書いて本人に下したもので、之に依って掃部助はこの受領名を称することができたのである。とのことです。