大内義隆が吉川元春を治部少輔に推挙

先の顕信のものと大体形式は似ているのである。この満頼のものと同じ書式のものは、周防の大内氏が出している。〔四三一〕は天文十八年四月廿二日、義隆が吉川元春をして治部少輔と名乗らしめるために出した文書である。とのことです。

挙敷奏 きょふそう =上奏する