戦国大名の官途受領書出

官途受領書出 なお戦国時代の諸大名の間には、先の名字仮名の書出の如き簡単な一行書或いは又書状式の形式の官途受領の文書を出している。〔四三二〕は天正七年正月廿六日、安芸の毛利輝元が一族穂田四郎元清を治部大輔と名乗らしめるために、〔四三三〕は天正七年三月二日、薩摩の島津義久が、天草大夫をしてその懇望に依り受領尾張守と名乗らしめるために出した文書である。とのことです。