一字の書出し

(略)

上の文書は天文二年五月十日、将軍足利義晴出羽国の伊達次郎に晴の一字を授けるために出したもの、下の文書は天文二十年三月十一日、周防国大内義隆が、安芸国厳島社の棚守左近将監に、隆の一字を授けるために出したものである。当時之を一字の書出し等と云う。伊達次郎は之に依って名字を晴宗と称したのである。とのことです。