礼紙のみ伝わる金沢貞顕の書状

〔四五三〕に挙げたものは、金沢貞顕の書状である。本紙礼紙二葉から成っていたが、今は礼紙のみ伝わっている。鎌倉に居った貞顕がその子貞将の六波羅在職中之に充てたものである。記事に依り正中二年と推定することができる。その記事には当時両統迭立のことに関して、禁裏より鎌倉に万里小路宣房を、皇太子邦良親王から六条有忠を遣わされたことが見えている。とのことです。