謙信の父為景、為景の父能景は印を用いたがいずれも私印

抑々謙信は越後長尾氏から出て上杉家を嗣いだ人である。上杉家の先代に於いても、又長尾氏に於いても、謙信以前に印を文書に用いた人がある。謙信の父為景、為景の父能景いづれも印を用い、殊に為景の如きは四種の印を用いている。然しこれらの印は皆私印に属すべきものであった。然るに謙信が関東の恢復上杉家の再興を図らんがため、永禄三年関東に出馬した時、武蔵高尾山薬王院、鎌倉比企谷妙本寺に下した制札に、家印を認めげきものを捺している。とのことです。