印は日附の上部に捺してある。この印は朱印、上部は獅子の画で、印文は地帝妙の三字から成っている。地蔵菩薩、帝釈天、妙見菩薩の各名号の頭字をとったのである。先に記した如く、景虎が永禄三年上杉家の勢力回復の為、始めて関東に出陣した時、武蔵相模両国の社寺に出した軍勢乱妨停止の禁制に捺したものが、矢張りこの印であった。この印は景虎の印の始めてのもので、而もそれが関東に転戦して出した文書に始めて現れているのは、何か偶然で無いように思われる。敵勢たる北条軍の虎ノ印判に、獅子の印判で対抗したのではなかろうか。とのことです。
日附が月日から成り、充所を具えた印判状
ろ式 日附が月日から成り、充所を具えたもの
之に属する例は余り多くない。〔四八四〕に挙げたものはあその一例である。鎌倉の代官で北条氏の老臣である大道寺政繁が、鎌倉郡山ノ内の町人百姓が出した小泉藤右衛門の屋敷の棟別銭に関する訴状を受理し、之を相手方なる藤右衛門に遣わし、之に対する陳情を差し出すように命ずる為に出したのがこの印判状である。とのことです。