「承芳」の二字の黒印から「義元」の二字の朱印へ

本文書出しに、「義元」の二字を横に連ねて印文とした朱印が捺してある。

義元は天文五年その兄氏輝が夭折すると、かねて仏門に入っていたが、又同じく出家していた異母弟と家督の相続を争った。その時出した禁制に、その僧名「承芳」の二字を印文とした方六寸単郭の黒印を捺していたが、この争いに勝利を得て、今川氏の家督を継ぐと、名を義元と称し、この実名を印文とする前記の朱印を用い始めたのである。とのことです。