尚奉行人の肩書に清断奉行とあるは、注意すべき文言で、当時今川家では訴訟を裁決する任に当たった者をかように呼んでいたのである。訴訟制度の珍しい史料ともなる。かかる奉行の奉じた印判状も多く出たのであろうが、今日残るものは僅かにこの一通に過ぎない。とのことです。
奉書式印判状の定まった一の書式
本書書出しに既に説いた義元の実名を印文とした方形の朱印が捺してある。日附の下と次行に、肩書に清断奉行と記した奉行両名が名判を加えている。かように奉行が差し出す形式になっていて、袖に義元の印がある。之が奉書式印判状の定まった一の書式である。本文書出しに印のあるのは、奉書御教書に、それを奉じて出す者の主人が、袖に花押を加えたのと同じ形式と見るべきである。そこには印判と判形との相違があるのみである。とのことです。
重郭正圓、上部に鍵形のある上杉家の印
日附の上部に捺した印は、重郭正圓、上部に鍵形の如きものが付き、郭内に「摩利支天、千手、勝軍地蔵」の三名号を配列して、鍵形から下部迄の長さ一寸六分、圓の径は一寸四分ある朱印である。この印は謙信の元亀元年頃の文書に捺したものから始まり、景勝が引継き之を使用している。先に(図版第一四〇)に挙げた文書に捺してある印と共に、捺した文書の最も多く遺っている印である。この両印が上杉家の印の代表的のものと云うべきである。とのことです。