謹空、後世の追而書の已上に当たる

前陳正倉院文書の啓状にも見え、この後に挙げる最澄の書状の追而書にもある。充名の次に追而書を記して紙面を塞いだ上に、更に空しくあけるのでは不合理に思われる。之を以上と解釈するとよくその意味を理解し得るのである。後世書札の追而書の書止めに已上とあるのは、この謹空に当たるものであろう。追而書の終わりに謹空と書けば、充所の下には記してない。正倉院文書の啓状も、かようになっており、後に挙ぐる最澄の書状も正にその例である。この謹空は最澄空海以後平安時代の中頃迄用いている。

この書式を具えた他の書状を示すと、〔二五〇〕の如きものがある。僧円仁が弟子安慧に送った書状である。とのことです。