当時之を異国警固と申していた

右の奉書は、薩摩阿多北方の地頭に代官をその所領に下すように伝えたものである。同地頭は当時女子であったから、代官を下すように命じたのである。かくて鎮西に在来から居住し或いは新たに下向した地頭御家人が、一国の守護人の命令に従って、蒙古人襲来の警備、当時之を異国警固と申していたが、その警固に就いたのである。とのことです。