稲村崎警固を命じた奉書

武家諸士奉書

室町幕府の奉書は、管領奉行が将軍の命を奉じて出した文書が主要なものであったが、他の人々も奉書を出している。〔三三一〕に挙げた文書は、建武二年十一月六日、高師冬等が鎌倉に於いて尊氏の命を受けて、御家人に鎌倉中入口の中稲村崎の警固を申し付ける為に出した奉書である。兎に角奉書は、武家に於いても極めて広く用いたものであった。とのことです。