千草左馬頭の袖判の御教書

尚〔三四五〕は正平六年六月五日、千草左馬頭が近江の多賀平左衛門尉の来附を賞する為に出した文書であるが、袖判を加えた右と同じ形式の文書である。恐らく左馬頭は、一方の将軍として活動し、かかる形式の文書を出したものと思われる。とのことです。