持氏の遺子安王丸の催促状

〔三七四〕は、持氏の遺子安王丸が、下総結城城に楯籠って、足利管領家の再興を計らんとして、陸奥の石川中務少輔を招いた催促状である。童名のみ書いてあって、署判がない。未だ元服以前で実名ができてをらず、従って花押も定まっていなかったからである。この文書に侍臣桃井憲義の副状が付いたのも、この幼少な主君の文書に権威を添えるためであったと思われるが、この花押の書いてない理由をその追而書に断っている。この追而書は、別紙の小切紙に書いてある。本紙が切紙であると、かような料紙を追而書に充てることもあったのである。〔三七三〕も料紙に切紙を用いている。室町時代以後に於いても、かかる軍勢催促状に切紙を用いているものが比較的多い。とのことです。