将軍足利義詮の坐公文

〔四一五〕は貞治二年正月卅日、将軍足利義詮が、寂室元光を建長寺住持に任命したものであるが、元光は事実建長寺に入院しなかったから、坐公文の早い時のものに当たっている。〔四一六〕は将軍義満が春屋妙葩に出した相国寺入院の公帖であるが、日下に花押のみを署している。とのことです。