蔭凉軒日録に御判あるいは御教書と記載

なお〔四一八〕は、文明十七年九月十六日、義政が、前出肥後国の清源寺を諸山に列するために出した文書であるが、之は公帖とは云わず御判或いは御教書と称していることが、蔭凉軒日録に見えている。〔四一九〕は近江退蔵寺を十刹に列した時の御教書の一例である。とのことです。