将軍義輝が人吉の相良義陽に義の一字を授けた

永禄七年二月九日、将軍義輝が、肥後国人吉の相良義陽に義の一字を授けたことがあるが、この時豊後の大友宗麟(義鎮)から異例としてその不当を申し立てている。蓋し大友氏は将軍家からその上の字を拝領し、然もそれが家の通字になっていたところから、自家と家格に相違ある相良家に通字を拝領する資格の無い所以を申し立てたのであろう。然し之は将軍家の取り上ぐるところとはならなかった。兎に角一字の書出は、武家の栄誉に関する文書として、大切に取り扱われていたのである。とのことです。