将軍家の下文に秋田城介泰盛の副状

次に〔四四七〕に挙げたのは、(建治二年)八月廿八日、秋田城介泰盛が、薩摩の島津久経が安堵下文を受けたとき、その下文に添えた副状である。当時泰盛は幕府の柱石として実力を具えていたから、将軍家の下文に副状を付けて、その権威を増大せしめんと図ったと見え、諸家の文書にかかる泰盛の副状が伝わっている。