戦国時代の地方文化により文書の地方的差違もうまれた

之から更に一歩進んで、「端書無之候」と袖に書いて、わざわざ追而書は書きませんでしたと鄭寧に断っているものもある。以上は全国一般に行われていたが、端書無之候は概して東国地方の人々の書状に多いようである。而してかような文言の現れてくるのは、戦国時代の文書からである。戦国時代は地方文化が割拠的に発展してきたので、ここに文書に於ける地方的差違として、かかる書式が起こるに至ったと考えられる。尚かような地方的特色は、文書の形様の他の要素にも現れている。とのことです。