安国寺恵瓊と羽柴秀吉、朝山日乗の交渉

此形勢を見た安芸の毛利家では、使僧として恵瓊を京畿に上せ、義昭と信長との和睦に尽力せしめ、且つ義昭の動静を探り、義昭が可成中国筋に下らぬように取り計わしめた。恵瓊はこの使命に尽くすところがあり、その結果を持って、急ぎ安芸に帰る途中、備前岡山から恵瓊が羽柴秀吉、朝山日乗と三人にて義昭信長和議の交渉に尽力したが、これが不調に終わり、義昭は行方知れずに紀伊宮崎に下り、中国に下る様子の無きこと、或いは信長と中国四国の諸豪族の交渉等を詳細に報じたのである。とのことです。