羽柴秀吉の小寺孝高宛書状

次に図版にも示した秀吉の自筆書状の他の一例をここに示すと、〔四六二〕の如きがある。これは(天正五年)七月廿三日、羽柴秀吉が信長の命を受けて、播磨を平定せんとせる折、同国姫路城主小寺(黒田)孝高に、共に相談して万事処理せんことを告げた書状である。秀吉の早い時代の自筆消息として珍重すべきものである。既に図版に出した天正十八年頃のものと少しも変わるところの無い、秀吉の飾らざる筆跡を窺うことができる。とのことです。