本能寺の変後、明智光秀が細川藤孝に送った覚書

(略)

この覚書は、天正十年六月九日、明智光秀本能寺の変後、その女婿細川忠興の父藤孝に送ったものである。三の条目から成っており、一つに藤孝忠興父子が本能寺の辺を聞いて髻を切ったことは如何にも腹立たしいが、又当然とも思われる。然しかくなった上は、加勢せられんことを請うと云うこと、二つに、藤孝には摂津国を与えようと思い、その上洛を待っている。尚但馬若狭が希望であれば、之をも都合を付けて与ふると云ううこと、三つに光秀が此大事を思い立ったのは、忠興等を取り立てんが為であり、近日の中に近国を平定したならば、光秀自らは隠退して、忠興并にその兄頓五郎興元に位置を譲るであろうと云うことを告げている。充名は欠けているが、之は藤孝に敬意を表した為であろう。とのことです。