上杉家独自の三人の奉者や奉行中と書いた奉書

〔四八〇〕に挙げたものは、同じく上杉家から能登国塩津の四郎右衛門に、船一艘の分校内諸役を免除する為に出したものであって、奉者は新発田尾張守長敦、竹俣三河守慶綱、齋藤下野守朝信の三人、何れも老臣である。上杉家の印判状にはかように三名の奉者のもの、或いは単に奉行中と簡単に複数を表していることもある。前説の如く、北条武田両家に於いては、一人若しくは二人が奉じて奉行中と書いたものは無い。此等に較べてみると、上杉家の文書にも又一つの流儀があったと見るべきであろう。とのことです。