指を畫いて記と為せよ

第一七図も個人から出した解である。日佐眞月・土師石國ら四人が雑材木を運漕することを命ぜられ、運漕すべき材木と、その運賃として支給された米銭に対する請取状ともいうべき文書である。右云々からは、八月十二日までに記載の数量の材木を樣(てへん)漕して、使(官吏)に勘定して渡すべし、もし一枝の材木でも失ったならば、私たちが作材して進上いたしますという意味と解される。一種の証文と認むべきものである。

樣(てへん)漕とは筏を組み立てて漕ぐことであるから、日佐眞月などは、筏士であって、河川に材木を流して運漕する業務に従事した人々であったことがわかる。文字に疎い人々で無筆者であったから、氏名も他人が書き、その下に図版に見るような一種の処置を加えている。

左とあるのは左の指、本、末とはその指の本と先の意味で四つづつ点を書いているのは、本と先とその間にある指の筋二個所の位置を印したのである。このようにして其の本人の差し出したものであることを確示したもので、自署名の代用である。大宝令の戸令によると、夫が妻を離別するとき弆状を書いて、それに尊属近親とともに署名するのであるが、このとき若し無筆の者であれば「指を畫いて記と為せよ」と定めてある。これが上記の文書にある一種の符号を指すものである。よってこれを畫指というのである。とのことです。