畫指の時代による変化

畫指の方法に二種類がある。一つは上記のもので、もう一つは点の間に線を引いてこれを継いでいるものである。そして左指と書いてある。畫指の規定は戸令にも見えているから、もちろん日本人の発明ではなく、中国の制規にならったものと思われる。唐代の古文書に同様畫指を行っているものがある。

奈良時代の文書で、畫指のあるものが正倉院文書に数通ある。みな男子の畫指である。然るに平安時代以降の文書にも畫指が散見されるが、いずれも女子のものに限っている。この時代の最初のものも左、本、末と記載して、奈良時代のものと同じである。しかし図版のように点のみを記載したものではなく、たいてい点と点との間を継いでいるものである。この時代の末期のものおよび鎌倉時代の初期、畫指のある文書の最も新しいものには、そのような記載がなく、単に指の長さを線をもって表したにすぎない。これは前代の規定が崩れてきたことを示すものであろう。要するにこのような符号にも時代の変化が認められるのである。とのことです。