尊澄法親王は還俗して宗良親王に

之が更に大徳寺に下されて、今同寺に伝わっているのである。尊澄法親王は元弘建武一統の後還俗せられて御諱を宗良と改められ、延元以後に於いては、東国地方に下らせられて、勤皇軍を指揮せられた御事蹟は著明であり、その折出された令旨も僅少ながら伝わっているが、御直筆から成る文書は、実にこの御請文唯一通あるのみである。この点に於いてもこの文書は実に貴重な史料と申さねばならぬ。とのことです。